美ヶ原高原美術館を出て、向かったのはここ。
善光寺でございます。
すごい人出だ、人気なんだなあ。
「一生に一度は善光寺詣り」で有名なお寺ですが、仏教が各宗派に分かれる以前より存在していたことから現在も無宗派であるそう。
また、旧来の仏教ではありがちな女人禁制を強いることもなかったらしい。
宗教が衆生救済を目的とするのであれば、元来の形に近い、と言えるかもしれませんね。
かまへんかまへん、誰でも来たらええ、手を合わせていったらええ、という自由なスタンスは好きですね。
関西弁では言ってないだろ、と思うけどね、うん。
何に効くんだったか忘れたけど、線香買って燃やしといた。
私はこういうこと滅多にしないんだけど、なんだろ、雰囲気よかったんですよね、このお寺。
写真撮影禁止だったんで、ここで紹介はできないんですが、本堂内にてお戒壇巡りも体験してきました。
いやもうね、マジで怖い。
まさかあそこまで完全な暗闇だとは思ってなかった。
右も左もわからなければどう進んでるのかもわからない。
これで私の後ろにいたオヤジから、再三にわたって膝裏に蹴りを入れられなきゃ、厳かな気持ちにもなれたんだが・・。
みんなよちよち歩きなんだから焦ったって仕方ないでしょうが、ねえ。
まあいい、御仏の御座ゆえ今回は許す。
山門に登れたりもします。
京都、奈良の寺社仏閣とは違ってどこか親しみやすいところでしたね。
重要文化財だらけなのに、それを感じさせないというか。
寺とはあんまり相性良くない私ですが、ここは私みたいなやさぐれ中年でも受け入れてくれそう、と勝手に思ったりしました。
続いてやってきたのは戸隠神社。
善光寺に行ったのなら、そりゃこちらも行っておかなきゃ駄目だろうと。
ただここ、戸隠山南部に最大10キロほど離れて5社建立されてるんですよね。
とても全部は回りきれない。
長野まで来て山登りはマジ勘弁。
ズルすることにする。
写真はふもとに一番近い場所にある宝光社。
実は奥社の近くまで、このように車で行けるんですね。
徒歩じゃないとたどり着けない神社に過去幾度か苦杯をなめさせられた私としては、ありがたいことこの上ない。
かつては戸隠山、比叡山、高野山とともに三千坊三山と呼ばれるほど栄えたそうです。
意図してなかったが、これで三山全制覇だな。
えっ、違うって?
なにやら遠くに山門が見えてきた。
おお、意外にすぐじゃないの。
えーと、山門くぐったけど、変わらず砂利道が続いているのはなぜ?
あの、着いたみたいなんだけどね、この大行列は一体何事なのか、と。
あとね、駐車場から20分近く歩くとか、想定してなかったからね、私は。
しかも途中から微妙に登り坂になってるし。
・・・結局トレッキングじゃねえかよ!侮りがたし、奥の院、いや奥社か。
「奥」って名がつくところはもう全部「奥」なんだと悟りましたです、私。
あー膝がー、股関節がー。
ちなみに祭神はタジカラオ。
天の岩戸が飛来(飛来??)したという伝承が残る神社ですんで、なるほどな、と。
もともと地主神である九頭竜大神を祭っていた神社が、紀元前210年頃、タジカラオを含む神話にまつわる神々を受け入れたと言われてますんで、大昔に朝廷となんやかんやあったのかもしれません。
一番詣でておかないといけないのは九頭龍社かもしれませんね。
九頭龍社、奥社のそばにあるけどね。
つまりはどちらにせよてくてく歩かなきゃならんってことだっ。
そして忘れてはならんのが奥社駐車場の近くにある忍者からくり屋敷。
えっ、子供向けでしょ?と今、思いましたね、あなた?
屋内が写真撮影禁止なんで、この面白さを絵で紹介できないのが辛い。
断言しよう、大人も夢中になる、と。
えっ、出られへん、どこから出たらええの?と、素で狼狽したことは内緒だ。
決して広くはないというのに、あそこまで凝った仕掛けを施した製作者の創意工夫に感服ですね。
からくり屋敷以外にもあれこれあります。
素朴ながら楽しいぞ。
戸隠神社とぜひセットで。
戸隠神社奥社のそばにある鏡池。
三脚立てて高価そうなカメラ構えたオッサン連中がいい撮影ポイントからどかねえ。
私が関西在住だから余計にそう思うのかもしれませんが、見慣れた造りの社殿や仏閣すらどこか違うもののように感じましたね。
特に戸隠は山々の連なりといい、樹木の生い茂るさまといい、素晴らしく目に鮮やかでした。
信州、思ってた以上に良かったですね。
うむ、また来よう。
さて、次はどこへ行こうかな。
<終わり>
2019.12探訪