大阪府三島郡島本町に来ております。
わかる人はわかるんでしょうけど、京都と大阪のちょうど境目ぐらい、と思っていただければ位置関係が理解しやすいかと。
・・・如意棒が写真に写っとるがな。
まあいいか。
えー、愛車スーパーカブ50を駆ってやってきたのはサントリー山崎蒸溜所。
日本初のモルトウイスキー蒸溜所として設立され、国産ウイスキー「山崎」の生産拠点としても有名ですよね。
ここね、工場見学ができるんですよ。
私はウイスキー、ほぼ飲まない人だし、シングルモルトウイスキー「山崎」なんてお値段がすごくて、とても手が出なかったりはするんですけど、見るのはタダですしね。
試飲できたりもするみたいですし。
今日はバイクなんでもちろん飲まないですが、知られざるウイスキーの世界をのぞいてみるのもいいんじゃないか、と。
もういい年なんだからウイスキーのひとつやふたつぐらいぐらいは詳しく知っておかねばな、大人の教養として。
おお、すげえ立派な工場!と驚いてたら、受付で「今、工場見学中止してるんです」と言われた。
・・・・はい、出鼻から撃沈。
えっ、もうまん延防止法解除されたよ?なぜ?と訝しむも全ては後の祭り。
だからあれほど下調べをきちんとしておけ、とこれまで何度・・・おい俺ぇ!
・・・仕方ない、当初の目的通り、隠れキリシタンの里へと向かうことにします。
いやーすげえな、たった2枚の写真で全部終わっちゃったよ、スタートダッシュが勇まし過ぎやせんか、今回。
隠れキリシタン、というと江戸初期に勃発した島原の乱であり、天草四郎が有名ですが、それより遡ること数十年、大阪府茨木市にも隠れキリシタンの里があったことが大正時代に判明したんですよね。
もともとこのあたりは戦国時代、高山右近というキリシタン大名(1552~1615年)が治めていたらしく、臣下は強い影響化にあったとか。
キリスト教禁止令が発布されてからは仏教徒を装い、山深い奥地へと信者はのがれていったようなんですが、それが今で言う茨木市の下音羽地区。
まさかバイクで移動できるエリア内にそんなところがあったなんて、ほんと驚きでして。
おぼろげに九州や東北にしか隠れキリシタンの里はない、と思ってたもんだから、俄然興味をそそられたわけです。
周辺は普通に街。
そんな弾圧の歴史があったなんて微塵も感じさせません。
道中、桜の名所っぽい川沿いの遊歩道があった。
数日前の雨で葉桜になりかけてますね。
川沿いに桜の木が点在。
咲き始めの頃には人を集めたんじゃないでしょうか。
私は全くしらないスポットでしたけど。
だんだん人気がなさそうな感じになってきた。
集落っぽいエリアに侵入。
このあたりが下音羽だと思うんだけど、それらしい痕跡はまるでないな。
キリシタン遺物資料館ってところに行ってみる。
普通の民家じゃねえかよ。
市立らしいけど。
フランシスコ・ザビエルの肖像画はこの地で見つかったらしい。
ほら、あれですよ、教科書に載っててほとんどの男子がろくでもない落書きをしたやつ。
ザビエル、来てたのか?茨木に?
墓石に十字架が刻印されてるというのがなんともいびつだ。
よくぞ残っていたものだなあ、と思います。
家紋へわかる人にだけわかる紋様を隠して刻印したキリシタンの墓の話を聞いたことがありますが、こちらは割とダイレクトだったんだなあ。
当時、摘発を任ぜられたお役人の知識が乏しかったんですかね?
余談ですが資料館、展示場は一部屋だけで、興味が無いと恐ろしく退屈だと思うんでご注意を。
いかにも行政がやりそうな仕事だと思ったんですが、入館料タダだから文句は言えない・・・って逆か。
むしろ税金投入してるんだから金とるべきか。
高雲寺というお寺にキリシタンの墓碑が安置されてるらしいんですけど、時間的に厳しそうなんでスルー。
しかし寺にキリシタンって・・・。
寺の住職が寛容だったのか、混成宗教化が人知れず進んでいたのかわかりませんが、時代が進んで信仰の自由が認められている現代日本の近代化を、今は感謝すべきなんでしょうね、きっと。
私は神も仏も嗜む程度の不調法野郎なんで強く同調することはないんですが、それでも苦難の時代を生きた人たちは自分の信仰に殉じて等しく天に召されているとよいね、とは思います。
現代の下音羽地区でも信仰は受け継がれてるんでしょうかね?
私はユーチューバーじゃないんで住人の方にお話を伺うとか無理ですけど、できる人がいるならやってみれば面白いんじゃないか、と思いますね。
さて、ここから次の目的地、茨木台ニュータウンへと足を進めます。
北摂(池田市・茨木市・吹田市・摂津市・高槻市・豊中市・箕面市・島本町・豊能町・能勢町の7市3町)のマチュピチュ遺跡、現存する限界ニュータウンとして近年急に話題にのぼるようなったバブル期の鬼子は現在どうなっているのか、ちょいとのぞいていきたいと思います。
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