創作短編~ガスコンロを探して

私は壊れたガスコンロの代わりを探していた。発端はただ、それだけのことだったのだ。

「いらっしゃい」
申し訳程度の接客。
店の奥に陣取った禿頭の店主らしき中年男はこちらを見向きもせずなにやら机の上で電卓をはじいている。
・・見るならどうぞご勝手に。
男が全身から発する空気は、とても儲かっていそうには思えないこのリサイクルショップの店内において、あからさまに部外者を拒絶していた。
・・はずしたか。
私は中年男に聞こえないように独りごちる。
リサイクルのサの文字が欠落した古びた表看板。
野放図に店先に散乱する冷蔵庫や洗濯機。
穴場か、とめぼしをつけた自分の選択眼を私は幾分疑い始めていた。
「・・・あの、ガスコンロはおいてるかい」
中年男は私に一瞥をくれることもなく、顎先で店内右側に備え付けられた棚を指し示す。
まったく、商売っ気がないのにも程がある。
「・・・グリルとか、安全装置とか、ついてないのはないのかい?」
反応がない。
「・・・あのさ、グ、」
「ないね」
とりつく島もない。
「・・・いや、シンプルなものでいい、と言う意味なんだ。どうせ色んな機能がついていても使い切れないからね。家電量販店にないようなものがあるのがこういう店の特徴なんじゃないのかい?ほら、その奥にあるやつとかさ、ちょっと見せてくれないか」
中年男が面倒くさげに顔をあげる。
「・・・・あんたリサイクルショップを古物商かなんかと間違えてやしないか?最近はどこでも新古品ばかり扱ってるんだよ。うちだって例外じゃない。年代物が欲しいんならクズ屋にでも行くんだな。うちにはあんたのお望みのものはないよ。帰んな。」
再び手元の電卓に目線を落とす中年男。
ここまで無愛想を貫かれると逆にあっぱれだ。
だがここですごすごと引き下がっていたようでは安価で使い勝手のいい相棒とめぐり合えることなど夢のまた夢。
「じゃあ聞くけどさ、あんたの後ろ、棚の上から2番目に重ね置きしてあるガスコンロはなんなんだい。遠目で見た感じじゃあグリルなし、安全装置なしに見えるんだがね。」
ふいに中年男の上腕が痙攣したかのようにぴくりと揺れる。
「しつこいヤツだな・・・。これは予約済みなんだよ。だから店先には出してないんだよ。そんなことぐらいわかれ、このバカが。お前みたいな頭の悪いやつの相手をしてる暇はないんだよ、こっちは!早く出て行け、オラ!」
しゃべっているうちに自分で興奮してきたのか、中年男は右手でばんばんテーブルを叩きながら私に向かって吠えたてた。
禿頭が湯気を立てそうなほど真っ赤だ。
だがそれを見てひるむことなく私はゆっくりと口を開く。
「・・客の質問に満足に受け答えもできない店員のほうがよほどマヌケでバカなんじゃないのか?接客ひとつろくに出来ないんなら田舎で畑でも耕してるんだな。なんならうちの郷里の農地を貸してやる。こっちよりずっと気候はいいぞ。」
「こ、この野郎!・・・・・・・」
中年男は勢いよく立ち上がると、派手に椅子を蹴り上げた。
ぴん、と張りつめた空気が両者をつつむ。
その時だった。
「・・なにしてるんや長吉。店先で顔真っ赤にして棒立ちで。こちら、お客さんと違うんか?あんた、まさかお客さんともめてるんやないやろな。・・・うち、こないだも注意したばっかりやなかったか。」
凛と透き通る声。
振り返った私の目に飛び込んできたのは店舗入り口に古びた電子レンジを抱えて立つ、作業着の女の姿だった。
年のころは20代後半ぐらいか。
長い黒髪を無造作に後ろで束ね、首元にはタオル。
若い娘には似合わぬ実用一点張りの格好ではあったが、隠しきれぬ艶がその佇まいにはあった。
それでいて長吉を見つめる切れ長の目には殺気すら感じるほどの迫力。
本来、こう言う仕事を生業としていた女ではないのではなかろうか、と私は思った。
「す、すんません、姐さん。でも、でも、こいつが、あんまりにも聞き分けのない事、いうもんやさかい・・」
先ほどまでの剣幕はどうしたことか、と思えるほどの萎縮ぶり。
中年男は背を丸めておどおどと女を上目づかいでのぞき見る。
「・・・おいコラ長吉。こいつて誰のこというてんのや・・。お前の目の前にお立ちになってる方は大事な大事なお客様と違うんかい・・・・。なめた口ききくさったらその禿げ頭の皮ピーラーで綺麗に剥いて晴れた日に物干しでカラカラに干してまうど!このボケが!」
女の怒声に、示し合わせたかのように同じタイミングで飛び上がる中年男と私。
「すんまへん!すんまへん!堪忍しとくんなはい!もう2度と言いまへん!わしが間違うてました!」
額をテーブルにこすりつけんばかりに頭を下げる中年男。
青ざめた表情でこめかみにはうっすらと汗。
赤になったり青になったり忙しい奴である。
「すんませんなあ、お客さん、店員の教育が行き届いてへんかって、不愉快な思いさせました。なんやったらお客さんの足元で土下座さして、そのまま一回まわってワン!って、このガキに言わさせますさかい、堪忍したってもらえまへんか」
満面の笑みで私に会釈する女。
切り替えの速さにも感心するが、それよりも私の感情の大半を占めていたのは「早く帰りたい、来たのが間違いだった」であった。
どう考えてもまともな店じゃない。
関わってはダメな暴力の匂いしか女からはしてこない。
「・・ほんで、何をお探しで?」
「いやその、ガスコンロなんだけど、あ、うん、別にいいんだ、うん、また来る、うんそう、また来る、ははは。はは。」
「いややわ、お客さん、そう言うてまた来たお客さんなんてこれまで1人も居やしまへんのえ。逃がしまへんで。」
ニヤリ、と薄笑いを浮かべる女。
ああ、これは般若だ、若くて美しい風を装いながら、淡々と網に獲物がかかるのを待っているのだ、と私は震え上がった。

「ほお、あんまりゴテゴテ余計な機能がついてへんもんがええ、とおっしゃるんやね。わかりました。ちょうどええのがおます。ちょっとそこでお待ち願います?おい長吉、ぼーっとつっ立ってんとお客様に茶の一杯ぐらい、お出しせんかい!」
いそいそと奥へと駆け込む女。
反して中年男は女に、へえ、と相槌をうちつつも、苦虫を噛み潰したような表情で私をじっと見つめる。
その時、私の心を占めていたのは、ぼったくられるんじゃないか、との猜疑のみであった。
逃げるなら今だ、と誰かが私の耳元でささやく。
車まで約3メートル。
駆け込んでエンジンをかけて・・・・ああもう、なんでこう言う時に限って私は頭から駐車場に車を突っ込んでいるのか。
ハンドルを切り返している間に女が出てきたらどうする?
いや、その前にこの中年男がどういう動きをするかが問題だ。
ああでもない、こうでもない、とシュミレーションに夢中になっている私に中年男がぼそり、と呟いた。
「おいあんた、姐さんが出てくる前に帰ったほうがええ。言うといたる。ろくなことにならん」
「はあ?」
この男は何を言っているのか。
「・・・そもそもこんなリサイクルショップやること自体無理があるんや。そらわしは姐さんにはどこまでもついていくで。そうするしかないからな。そやけど分相応ちゅうもんがあるやろ、世の中には。わしらみたいなもんが商売なんて・・・」
誰に聞かせるともなくいやに深刻な顔でぶつぶつと独白する中年男。
気にならないわけではなかったが、私に中年男のアンニュイを理解してやる親切さなどありはしない。
ましてや先ほどまで一食触発の間柄とあってはなおさらだ。
「なんの話をしてるんだあんたは。わかるようにいってくれないか」
「・・・そやから!」
中年男が口を開きかけた時、がちゃん、と派手な音をさせて女が顔をのぞかせた。
どうやら倉庫から出てくる際に足元の薄汚れた三輪車を蹴飛ばしてしまったらしい。
姐さん、幾分そそっかしい人のようだ。
「かんにん、お待たせしました!これでどうですやろ。お客さんのご希望にぴったりちゃいますか?」
額の汗を拭いつつ上気した顔で女の抱えるガスコンロはまさに私が思い描いていた品、そのものであった。

「へえ、そんな店があるんだ」
給湯室の横にパーテーションで区切られた狭苦しい喫煙場所で、私の話に相槌を打つのは私と同じ会社に勤める同期の脇坂だ。
喫煙人口が減少の一途をたどる昨今の国内において、脇坂はこの会社における数少ない同士の一人。
ヤツがもし禁煙するとこの会社で煙草を吸うのは私とあと、部長だけとなる。
部長と喫煙仲間よろしくタッグを組むなどごめんこうむりたい私は、常日頃から脇坂に肺ガンになっても煙草をやめることは許さない、ときつく厳命してあった。
「いや、おどろいたよ。てっきりヤクザが何らかの事情でやってる店だと思ったんだ。ところが別に破格の料金を請求されるわけでもない。希望の品をわざわざ探して売ってくれる。なんだ良心的じゃないかよ、って。いったいなんだったんだろうな、って。あの女とハゲ頭のおっさんは」
「なんだか昔の博徒みたいだよな、話をきいてると」
「ほんとそうなんだ」
興味深げな顔でせわしげに煙を吐き出す脇坂。
昼の休憩が終わるまでにもう一本どうしてもふかしたいらしい。
「・・・・私、その店なんだか聞いたことあるなあ・・・」
もくもくと煙の立ち込める隙間からひょいと顔をのぞかせたのは事務の加奈子だった。
とにかくこの女はやたら噂好きで、誰かが集まっているとそれが興味のあることだろうとなかろうととりあえず顔をだす。
私はまた加奈子かよと、幾分うんざりしながらも無下に扱うこともできず、ひきつった笑みを浮かべた。
もちろんそれは、この女にあることないこと社内でさえずられては困るからだ。
「・・・え、あ、そうなの?」
「うん。なんか元極道の女とその手下が足洗ってやってる店だとかなんとか。あれ?違ったかな?丸暴の女刑事とその刑事に惚れた極道だったかな?あれ?でも評判悪くないみたいよ。でも人はあんまり寄り付かないみたい。あ、でも隠れた名店だったかな、うん」
でもでもって、さっぱり情報が的を得ない。
この女は断片的に仕入れたネタを自分の中で取捨選択することをしないのでいつもこの有様である。
「・・・まあ、そういわれればそんな感じもしなくはないけど・・・ただねえ」
「ただなに?」
「いや、思い描いてた品だったんだよコンロは。使い勝手もいい。でもね、規格が妙なんだよ。着火のために普通は電池はめこむじゃないコンロって。ところが電池をとりつける場所がどこにもない。メーカーの表記もない。年式もわからない。いちいちライターで着火しなきゃならない。それに、何故かガスの火力が安定しないんだよね。急に弱火になったり。ガスの規格が違うのかなあ、なんて思ったんだけど、それを確かめるための注意書きすらないんだよね。まあ、安かったし、使えないことないからいいんだけど」
「いやいやダメでしょうよ、それ」
脇坂があきれたように口を挟む。
「そうよ、怖いのよガスって。夜中勝手について火事になるかも。ああそれより中毒、ほら、二酸化マンガンがしゅーって充満して、ああ怖い」
二酸化マンガンが室内に充満するなんてことは自然界にありえないがあえて口を挟まずにおく。
「いやまあご心配はありがたいんですけどね。でもその件でもう一度あの店に行く、ってのはやっぱりちょっとね。クレームつける勇気ないわ俺」
「・・・・よし、俺、一緒に行ってやるわ。ちょっとその店、興味あるし。姐さん、見てみたいし」
ああ、脇坂のお調子者な一面が顔をだした、と私は余計な事を話した自分を責めたが、こうなってはもう頑としてひかないのが彼である。
「今週の週末でどう?俺、車出してやるからさ」
「あ、私も行ってみたい~」
加奈子にまで一枚噛ませるつもりは全くない。
あわてて脇坂を喫煙室から連れ出した私は、加奈子をまくためにも彼の申し出に渋々納得するしかなかった。

そして週末。
私と脇坂はガスコンロを車に積み込むと、昼過ぎに自宅を出発。
決して意気揚々とご機嫌なドライブだったわけじゃない。
それはもちろん相手がどう出てくるのか、まるで予想がつかないことに起因する。
どこか他人事でテンションの高い脇坂に反して、私はとかく沈みがちだったことは確かだ。
できればあまり再会したくない相手。
ただ、結論から言うなら、そんな私の懸念は杞憂に終わる。
なぜなら、私達2人は肝心の店そのものにたどり着けなかったから、なのである。
「えー、おい、おかしいぞ。お前の言うもう一本北の道って、カーナビにないんですけど。姉小路通りの北は御池通りになっちゃうぜ?そんな大通りに面した店じゃないんだろ?」
「あれ?おかしいなあ」
いくら画面を穴が開くほど見つめても、狭苦しい路地をなんども往復しようと、私がたどったはずの道が見当たらない。
自分が実際に行った場所も思い出せねえのかよ、と立腹する脇坂を尻目に、ただ私は唖然と狐につままれたような顔で焦るばかりであった。
他人の車でこれ以上、あてなく市中をうろうろさせるわけにはいかない、と判断した私は、夕食をごちそうすることをお詫び代わりにその日は退散することを提案。
こうしてろくでもない休日は不可解なままその一日を終える。
後日。
人間とは不思議なものである。
決して気が進まなかった店への再訪も、いざ見つからない、となると、なにやら喉の奥にひっかかった魚の骨のように気分を落ち着かなくさせるものだ。
どうしてもクレームをつけたかったわけじゃない。
ただ私は、もう一度あの店が本当にあったことを自分の目で確かめたかったのだ。
でないとまるで虚言癖を患う男のようじゃないか、と思ったのである。
車にガスコンロを積み込んで出かけたのが仕事を終えて帰宅した午後6時。
すでにあたりは薄闇がしのびより始めている。
私はあわててアクセルを踏み込み、自分の記憶を頼りに、あたりをつけた場所へと車を駆る。
暗くなっては余計にわかりづらくなるだろう。
ところが焦る気持ちとは裏腹に市内は帰宅ラッシュで渋滞の群れ。
私がようやく付近まで来たのは日も暮れた午後7時過ぎであった。
「ここだ。ここを曲がって・・・」
カーナビなど当てにせず、自分の勘を頼りにゆっくりと車を走らせる。
町屋が続く通りをのろのろと車のヘッドライトが照らす中、なんの前触れもなく見知ったあの看板が忽然と現れた時、私は軽く歓声をあげていた。
ほら見ろ!ちゃんとあったじゃないか!
あれ?でもこの通り、姉小路じゃなかったっけ?
いや?三条通り?
まあいいや、あったんだから。
駐車場に車を止め、まだ店内に灯りがともっていることを確認すると、私は勢いよくドアをあけ、コンロを引っ張り出そうとし、はたと、手を止める。
・・・・クレーム、つけるのか?今から?
本末転倒といわれればそれまでだが、私の目的はあくまで店の実在を確認することにあった。
そこで彼らと再び相まみえることは私の中でまた別問題だったのである。
「あれ?ひょっとしてこの間来てくれはったお客さんちゃいますのん?いや、うれしいわあ。また何ぞ探しにきてくれはったん?さあさあどうぞ、まだまだ店は閉めまへんさかい、ゆっくり見ていっておくれやす」
背後から響く声を聞いた瞬間、私は自分が蜘蛛の巣に捕らわれた昆虫に成り代わった気がした。
「ほお、するとお兄さんはこのコンロがおかしい、とおっしゃると。うちがまがいもんを売ったと、そうおっしゃりたいわけですな」
「あ、いや、その、そういうわけじゃないんだ。うん。その、なんていうか、ちょっと、えー、そう!変な感じっていうか。うん。なんかニュアンスが違うっていうか。うんそう。あはは。はは」
「何言うてるのかわからんわ。おい長吉!これは使えへんもんなんか、あかんコンロなんか。お前はどう思うねん」
うんざりしたような表情でゆっくりと女に目を向けおもむろに口を開く禿頭の中年男。
「・・・初めてのこととちゃいますやん」
「何?」
「そやからこんなこと初めてやないですやん、姐さん。わし、前も言いましたやん。リサイクルショップっちゅーのは新古屋なんや、と。なんぼ使えても古すぎるもんはあかんのや、と」
すっ、と女の顔から血の気が引くのを私は見逃さなかった。
「・・・お前、いつからそんなクソ生意気な口がきけるようになってん。うちのとこに来た頃はおかあちゃーん、いうていつもぴいぴい泣いてたくせに、誰がお前のことをそこまでにしてやったと・・・・その役立たずの玉抜いてヌカずけにしてほしいみたいやな、おのれは」
「・・いや、あのもういいです。あの、もういいですから私。もめないで、ね?私もう帰りますんで。別にいいんですこれで。ちょっと解決策があるかなあ、なんて思っただけだから、はは、ははは。だから、」
「お前は黙ってえ!」
見事に息の合った二人の怒号にその場で飛び上がって萎縮する私。
「姐さん、今日はもうはっきり言いますで。時代がちゃうねん。姐さんが思てるような時代やないねん。いんたあねっというてますねんで世間は。中古品も電話線伝うて売る時代なんや。ところがどうです?うちなんてまだ黒電話や。どないしていんたあねっとはん、来てくれますねん」
「知るか!そんなわけのわからんもん、来てもらわんでもうちは全然困らんわ!まだ使えるもんを大事にして売る、これのなにがあかんねん!あの戦後の動乱期をいつのまに忘れてしもたんや日本人は!ええおい!おかしいやろ!いんたあねっとはんがガスコンロ修理してくれんのか!ポットで茶沸かしてくれんのか!電子レンジでもう充分ちゃうんか!」
よくわかっていないもの同士がののしりあうことで議論はもはや異種格闘技戦状態である。
「おい、お前、おまえもおまえや!なんでわざわざまた来るねん。普通は2度と近寄らんぞ、こんな店!またうまいこと小器用に見つけくさって、アホかおんどれ!わし、いうたやろ、さっさと帰れて!これやるから今すぐ去ね!ほんでもう2度と来るな!」
突然ののしりあいの風向きがこっちに変わったかと思うと、中年男は後ろの棚から別のガスコンロを引っ張り出し、強引に私に押し付けた。
「あ、コラ長吉!なに勝手なことしくさっとんねん!おんどれ、たいがいにせんと・・」
女が凄まじく凶悪な人相で中年男を睨みつけ、今にも飛びかかろうとしたその時だった。
「あの~すいません、表の冷蔵庫・・・」
店の入り口あたりから間延びした声がする。
「なんじゃコラ!今取り込み中じゃ!」
「コラ!なんちゅう口、ききさらしとるんじゃボケ!お客様第2号ちゃうんか、アレ!接客は標準語で、ていつもいうてるやろボンクラ!」
すぱーん、と軽快な音をさせて女の平手が中年男の頭を張る。
がくん、と前のめりにつんのめる男の様子をみるに、女の細腕とは思えぬ破壊力がその一撃にはあったようだ。
つくづくそれが自分に向けられなくて良かった、と私は胸をなでおろす。
「はいはい、今行きますさかい。ちょっとお待ちになって~」
ぱたぱたと表へ駆け出す女。
どうでもいいが、姐さん、あんたは標準語じゃなくていいのか。
もちろんそんなことを面と向かってつっこめる勇気は私にはない。
さて、これはどうしたものか、と私が中年男を振り返ると、後頭部をおさえつつ苦悶の表情を浮かべる不細工なユル・ブリンナーがそこにはいた。
ああ、誰かに似ているなあ、と思いきやユル・ブリンナーだったんだ、と私はその場に合わぬ緊張感のなさでおかしな納得をする。
「は・よ・か・え・れ・ボ・け」
痛みをこらえるため食いしばった歯の間から搾り出すように一語づつ言葉を発するユル。
「・・・あの、いいんですか、本当に」
ふいに中年男はがばり、と身を起こすと、血走った目を私にむけ、鬼気迫る表情で、うー、と唸り声を上げた。
「わ、わかりましたよ、帰ります、帰りますから。犬おっぱらうんじゃないんだから、もう。あとで文句とか言わないでよ」
接客に夢中になっている女を尻目に、ガスコンロを車に積み込むと、私はあわててアクセルを踏み込む。
かくして私のガスコンロは労せずして、年式の新しい新古品と相成ったわけである。
それは当初の希望とはもちろん違ったわけだけれど。

私とその奇妙なリサイクルショップの関わりはそれですべて終わったかに見えた。
私自身、もし必要なものがあったとしても再びあの店に行くつもりは毛頭なかったし、それ以前に女と面つき合わせることで、ガスコンロの件を蒸し返されるのが恐怖だ。
そのまま店のことはいつしか記憶から薄れていくはずだった。
ところがである。
ウェブのニュースサイト、地方版の小さな記事が私の関心を再びあの店に向けさせることになる。
『違法営業のリサイクルショップ摘発。数十年以上にわたり無免許で開業か』
その記事が示す住所はどう考えても私がガスコンロを購入したあの店に違いなかった。
さて、この日常の小さなささくれのような出来事を記すにあたって、私はすでに全てを書き終えているのでは、という気が実は今している。
アネゴ風の女と、粗暴な中年男が営むリサイクルショップと私の関わりは、あの日、押しつけられたガスコンロを逃げるように運んで以来、その接点をなくした。
以降、私は彼らの店に行っていないし、彼らに会ったこともない。
これから記すことは、いくつかの状況証拠と断片的な事実から導かれた逞しすぎる妄想にすぎないのかもしれない。
だが、その妄想が奇妙な真実味を帯びてくる瞬間を、私が脇坂の弁舌に相槌をうちながら体験したことは、嘘偽りなく本当のことだ。
それが他者の目にどう映るか、それは私のあずかり知らぬ事、といえよう。
私は、私の感じたことをそのまま記す他、この騒動の顛末をしめくくる術をもたない。
それが真相なのかどうなのか、解き明かす術を持ち合わせていない、というのが現状なのだ。

ちょっといいか、と脇坂が私に声をかけてきたのは仕事の就業間際、そろそろ帰り支度を、といった時間だった。
妙に深刻な顔つきで、彼は私に、食事がてら少しつきあえ、という。
別段用事もなかった私は、彼の誘いにのってそのままなじみの飲み屋にむかうことを承知した。
なにかのっぴきならぬ悩みでもあるのか、とそのときは思ったのだ。
「なんだよ、急にあらたまって」
おしぼりで手を拭きながら私は脇坂を促す。
「うーん・・・・・・・・・・」
つきだしを箸でこねながら、妙に言い澱む脇坂。
いつもの快活なヤツらしくない。
「・・・あのさ、変な事いうやつだと多分お前は思うだろうけどさ、それを承知の上で聞いてほしいんだけどさ」
「なんだよ、気持ち悪い」
結露が涼しげなビールのジョッキにも手をつけず、脇坂は私をまんじりと見つめ、おずおずと語りだす。
「例のリサイクルショップ、なんだけどさ」
「おう、あの時は悪かった。でも知ってる?どうもあの店摘発されたみたいだぜ。ウェブのさあ・・」
「ああうん、知ってる。それについてはまた後で言うけどさ、それよりさ、実は俺、あのあと1人でもう一度あの店探したんだよ」
脇坂が言うには、どうしても店を見つけ出したかったわけじゃない、らしい。
ただ、偶然が重なった。
彼が仕事の上で担当する顧客が例の店の近くにあり、その日、予定していたより早く出先での打ち合わせを終えた彼の脳裏に『よく探したら店見つかったよ、コンロもなんとかなった』と告げた私の顔がふいによぎった。
あわてて帰社するほど仕事がたてこんでいなかった彼は、なんとなくそのあたりをぶらぶらしてみるか、と思った、と言うのだ。
「でもやっぱりねえのよ、どこをどう探しても。あいつ、絶対嘘ついてやがる、と思ったよその時は。そしたら同じ道を何度も行き来する俺を不審に思ったのか、地元の婆さんが声かけてきやがってさ」
その婆さんとのやりとりで、思わぬ情報を脇坂は得る。
『あんたがいう店はなんでか知らんけど時々訪ねてくる人がおる。せやけどこの通りにそんな店はあらへん。迦衣町通りには昔似たような店があったかもしれんけど』
婆さんが鼻先で示したのは路地の片隅に立つ古びた石碑だった。
それを見て脇坂は顔色を変える。
その石碑には『旧迦衣町通り跡』とあったのだ。
「あったんだよ、昔は。姉小路通りと御池通りの間にもう一本路地が」
なにか確信めいたものがあったわけではない。
だが、わずかながらの糸口を掴んだ気がした脇坂は、生まれたときからずっと地元で暮らす当社の部長(59歳)に世間話よろしく、煙草をふかしながら喫煙所で話をふった。
「おお、迦衣町通りなあ。あれな、戦後復興期の街地区画整理でなくなってもうたらしいんや。わしも親父に聞いたんやけどな。せやけど今でもその痕跡は残っとる。千本通りの方まで行ったらな、迦衣町とは呼ばへんけど姉小路と御池の間に今でも道があるわ。それより脇坂、迦衣町通りにちょっと気色悪い話があるの、知ってるか・・・」
部長が言うには、迦衣町通りがなくなってしばらく、あのあたりでは子供の神隠しがひっきりなしにあったそうだ。
ただそれが各地に伝わる似たような他の事例と違ったのは、そのまま子供が帰ってこないというわけではない、という点。
子供によってまちまちではあったが、数日を経て当の本人はひょっこり帰ってくる。
当時の大人たちはそれを朧屋敷のたたりだと噂したそうだ。
「朧屋敷?」
「そう朧屋敷。さすがにこれは部長も詳しく知らなかったんで、あちこち調べたよ、俺は。この俺が図書館にまで行ったんだぜ?」
遡ること昭和10年代。
おかしな噂がまことしやかに人々の口に上ったことがあった。
それは決まって逢魔が刻、歩きなれた路地に、ある日忽然と昨日までなかったはずの屋敷が出現する、というものであった。
酒蔵風の作りの巨大な木造屋敷の目撃例は当時で100件以上。
奇妙なのは、その場所が特定されていない、ということ。
ある証言ではそれは笹屋町の入り組んだ路地の片隅であり、また別の証言では等持寺町の寺の隣、であった。
おおよそ市内を中心に、その奇妙な屋敷は場所を特定せず現れては消え、を繰り返していたようなのである。
これをいつしか人々は朧屋敷と呼ぶようになった。
この騒ぎを当時の知識人階級は、軍国主義へと傾倒していく世情の不安が産んだある種の集団幻覚である、と結論づけている。
これに真っ向から反論したのが在野の民俗学者、秦野平吉であった。
秦野は朧屋敷をマヨヒガの一種である、とその著書で述べている。
「マヨヒガ?なんだそれ?」
「いやまあ俺も詳しくは知らないんだけど、柳田國男っているじゃん、遠野物語の。あの人が自著で紹介してるらしいのよ」
マヨヒガとは漢字で書くと『迷い家』となり、東北、関東地方に伝わる、訪れた者に富をもたらすとされる山中の幻の家、あるいはその家を訪れた者の伝承についての名称である。
秦野はそれが近畿にも存在した、と強調する。
彼の論説をそのまま引用するなら、マヨヒガはかつては左京区花背村の山深くに実在した、と言うのだ。
その論拠たる実例をひとつひとつ取り上げるのは面倒なので割愛するが、肝心なのは、そのマヨヒガが存在したとおぼしき場所一帯を当時の軍部の指導で禿山にしてしまったことにある。
伐採された木材は主に造船に使われたらしいが、それはまた別の話。
「で、秦野って人はさ、朧屋敷ってのは花背村の場所を奪われたマヨヒガが街を彷徨っている現象のことだ、っていうわけ」
「うーん、まあ、話としちゃあわからなくはないけど、それがどう例の店とつながるわけ?なんかどんどんオカルトな方向に行ってる気がするんですけど?大丈夫か?」
「いいから最後まで聞けって」
眉唾、とばかり話の腰を折る私を尻目に、脇坂はさらに熱弁をふるう。
「でその、朧屋敷だけどさ、ある日を境にぴたりとその目撃例がなくなる。いつだと思う?」
「さあ?」
「ちょうど迦衣町通りがなくなった時期と見事に合致するんだよ、それが」
なにかがぞわりと背筋をなめあげる。
それがなんなのかはまだ私にはわからない。
ここからは俺の想像だけど、と前置きして脇坂は滔々と語る。
「おそらく朧屋敷はその時、迦衣町通りに出現していたんじゃないだろうか。資料を見る限りでは朧屋敷の出現には一定の法則があるように俺は思うんだ。出現は決まって逢魔が刻。消えるのは夜半すぎか翌朝。もし、もしもだよ、朧屋敷が出現している最中に、区画そのものがなくなってしまったら朧屋敷はいったいどうなると思う?俺はさ、道そのものが消えてしまったことによって朧屋敷はその場に捕らわれてしまったのではないか、と思えて仕方がないんだ。おかしな例えだけどさ、跳び箱を飛び越そうとする時に突然踏み切り台がなくなったらどうなる?その場で足踏みするしかないよな、はっ」
突飛な想像だ。
だが突飛であるがゆえ、それには奇妙な現実味があった。
「じゃあお前はあの店が・・・」
「だと思う」
「いやいやちょっと待って、前提に矛盾があるよ。秦野って人の説に従うならそもそもが花背村にあったわけでしょう?花背村から場所を奪われて彷徨いだしたわけじゃん、ケースとしては同じなわけでしょ迦衣町の時と」
「だから『出現してる時に』って言っただろ。マヨヒガはたどり着ける人間も居ればたどり着けない人間もいるとされている。俺はこれを人側の問題じゃなくてマヨヒガ側の問題だと考える。仕組みはわかんねえよ。でもマヨヒガはこの世に現れてる時と現れてない時があることが朧屋敷の例からも明らかだ。多分花背村の時は『消えている時間』だったんじゃないか。だから彷徨うほかなくなった。反して迦衣町の時は・・」
「あっ・・・」
そう考えれば確かに辻褄は合う。
「失われた迦衣町通りに捕らわれてしまったマヨヒガ=朧屋敷は多分、今でも同じ場所で出現と消滅を繰り返しているんだよ。おそらく出現時、何らかの条件が重なることで迦衣町通りごとそれは現実にリンクするんだ。お前はさ、マヨヒガを訪れたんだよ・・」
『またうまいこと小器用にみつけくさって!』と私を罵倒した中年男の姿がとっさによみがえる。
だが私の口をついて出たのは半ば信じかけている自分を否定する言葉だった。
「いやいやいや想像力たくましすぎ。ありえないって。少なくともリサイクルショップはない。それはない。仮にあったとしても俺が行ったあの店じゃない。そんなわけない」
「そういうと思って他にも色々調べた。迦衣町通りがなくなったあと、神隠しのような事件が増えてそれが朧屋敷のたたりだと噂された、ってさっき言ったよな。これがさ、迦衣町通りに捕らわれたマヨヒガに迷い込んだ子供達におこった現象だと考えると合点がいかないか?出現時にお前のように偶然朧屋敷に侵入する、その後数時間を経て朧屋敷は消滅、再び出現した際に解放された、と解釈すると消えた子供達のトリックは簡単に解ける」
「・・・・それは・・・」
「さらに俺は加奈子から興味深い話を聞いた」
「は?加奈子?」
「あいつの彼氏、府警の2課に勤める刑事さんじゃん。それでちょっと小耳にはさんだらしいんだけどさ、あの店摘発されたあと、女と中年男、署まで連行されたらしいんだけど、移動途中、パトカーの中から忽然と女だけが消えたらしい」
「えっ!」
「表沙汰にはなってないけどね。まあ表沙汰にしようがないわな、こんな話」
よりによって加奈子みたいな噂好きの女とつきあうのが刑事だなんて漫画のようだとしか言いようがないが、そんな女に平気で内輪の話を漏らす刑事も刑事である。
まあそのおかげで私達は希少な情報を知ることができるわけであるが。
「まだある。残された中年男な、戸籍を調べたら出生届が出されていたのが昭和18年で、その後昭和23年に家族から捜索願いが出されていた。記録上はそのまま発見されていない。もし本人だとして現在73歳のおじいちゃんだ。とてもそうは見えないと現場では混乱しているらしい。お前、会ってるんだよな。その男と」
73歳?そんな馬鹿な。
どう見てもあの男は40代だった。
若作りしていたにせよ50代がギリギリといったところ。
私は呆けたように押し黙るほかなかった。
「これは仮定だが、朧屋敷ってのは時間をかいつまんで飛ぶ航空装置みたいなものなんじゃないか、と俺は思うんだ。消滅時、その中にいるものに時間は流れない。出現時のみ体内時計はカウントされる。規則性はわからないが、そう考えると男が年齢に似合わず若いことも納得がいく」
「なんだよそれ!SFじゃねえかよ!」
私はテーブルを叩いて吠え立てた。
「おお、SFだよ!けどな、他にこの現象を合理的に解説できる説明があるか?あるなら教えてくれ!逆に俺の方が知りたいわ!」
息を荒げてにらみ合う私と脇坂。
しばらくしてふいに視線をそらした脇坂がぽつり、とつぶやく。
「検挙された男な、質屋の息子だったらしいよ。何が男を朧屋敷に留まらせたのか、その理由はわからない。ひょっとしたら虐待されてたのかもしれない。ただ単に家族とウマがあわなかっただけなのかもしれない。ただ俺が思うのはさ、外界とは違う時間の流れる空間に女と二人きりでさ、齢を重ね、男は何を考えたんだろう、ってこと。男は女に母を見たのかもしれない。いびつにゆがんでしまったマヨヒガの伝承に2人して身をさらしながら、なにか、共に生きるよすがを見つけたかったのかもしれない。とはいえ捕らわれたとき、男はわずか5歳だ。なにを女に伝えられる?せいぜい家業の話ぐらいじゃないのか?」
「・・・・脇坂、ひとつだけ疑問が残る。女はいったい何者なんだ?」
「マヨヒガの伝承には必ずと言っていいほど迷い込んだ客人を歓待する女が登場する。この女が何者なのか?そんなの解き明かしてる文献は古今東西に存在しない。いうなればマヨヒガそのもの、といっていいんじゃないか?女の存在は」
私はすでにぬるくなってしまったビールのジョッキを一気に底まで空にすると、大きくひとつため息をついた。
「現代にそぐうようマヨヒガはリサイクルショップにその姿を変えている、ってか。なんだよそれ。上方落語かよっ・・・」
脇坂は何も言わない。
「なあ脇坂、男はどうするんだろう。警察から解放されたらさ、またあの店に戻るんだろうか」
なにかぼそぼそと喉の奥で脇坂は呟いたようだったが、酔客の喧騒がそれをかき消し、私の耳には届かなかった。

普段の生活でガスコンロを利用するたび、私はあの奇妙な二人をふいに思い出す。
今でも偶然に迷い込んだ客相手に商売を続けているんだろうか。
牢獄に捕らわれてしまった御伽噺は、男の存在をも飲み込んで、再び後世へと伝えられるのか、それともその形すら変えてしまうのか。
とりあえず、いんたあねっとはんは出現と消滅を繰り返す環境でもうまくつながるのかなあ、などとやくたいもない事を考えながら、私はいつかまた、あの店に行こうと思うことがあったりするのだろうか、と1人薄暮に想いを寄せる。
マヨヒガはいったい私に何をもたらしたのか。
私の目の前で繰り広げられた一連の出来事は、どこか悲喜劇的な様相をも伴って、それが富であったのか、拒絶であったのかいまだ私は判別できないでいる。

2017.12著

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