昭和の奇怪譚~ネームプレート

少し前、なにげにテレビを見てたら所ジョージが司会で、山の中にぽつんとある一軒家へ行く番組をやってた。

スタッフにその一軒家に関する前知識はない。

googlemapで偶然発見した家らしきものに突貫取材する、というのが番組の趣旨。

その回は2軒ほど、険しい山道を分け入り、一軒家の住人と心温まる交流をかわす様子が放映されてたが、私はもう、その番組内容とは裏腹に、見てて怖くて怖くて仕方がなかった。

なぜ行けちゃうわけ?そんな山奥の一軒家に?

わけありな人が住んでる確率のほうが高いじゃないよ。

どうしてそう感じたのかというと、かつて、山の中に忽然と現れる民家ですくみあがる経験をしたことが私にはあったからだ。

私が山をうろうろするのが好きなのはブログを見てくださってる方ならご存知のことかとは思うが、その出来事に遭遇したのはまだ若かった頃、20年以上は昔。

某所にある人里離れた山道を車でドライブしてたある日。

同乗者は居ない。

特に行き先は決めてない。

免許を手に入れて、運転をするのが楽しくて仕方がない頃の、行き当たりばったりなサイトシーイングみたいなもの。

対向車がきたら100%すれ違えない林道をうねうねと登っていき、そろそろ頂上か、と思われるあたりで突然道がふた手に分かれていた。

一方は下り、一方は上りに。

別に何か意図があったわけではない。

特に考えもなしに下りを選んで道を進むと、200メートルほど進んだあたりで突然民家が。

そこから先には抜ける道がない。

住人のために整備された脇道にどうやら私は迷い込んでしまったよう。

Uターンするか、と思ったが、なぜこんな山奥に民家が?との興味が勝り、車を降りて敷地を歩き出す。

すでにふもとから1時間近くは悪路を登坂してきている。

とても人が住むのに快適な立地とは思えない。

住宅の手前には300平米ほどの庭。

ただしその庭には、所狭しとわけのわからぬガラクタが積み上げられてる。

当時の私の知識では判別できなかったのだが、産業廃棄物っぽい金属類が多かったように記憶してる。

古びた車のタイヤもいくつか山積みになっていた。

向かって左側にはあちこちへこんでサビの浮き出た軽トラが斜めに駐車。

これ、動くのか?と車内を覗き込んだら助手席が溶けたように崩壊してて、ペットボトルやビニール袋等のゴミが散乱してた。

けれどキーは差し込んだまま。

えっ、現役?といぶかしみながらもさすがに車のドアを触る勇気はない。

そのままガラクタをやりすごして住宅に近づく。

足元はここ数日雨も降っていないのにひどくぬかるんでる。

まるでわざとこの場所を選んで湿気が寄り集まったかのよう。

ここ、廃棄された無人の家かもなあ、なんて思いつつ、ふと玄関口に目線を移すと、木札の表札が。

薄汚れていてよく読めないが、それがカタカナであることだけは判別できた。

え、表札にカタカナ?と首を傾げたが、いや、それ以前に誰にこの表札をアピールするんだ、こんな山の中で!と密かに心のなかでつっこむ。

郵便配達もこのような深山にまではさすがに訪れられないだろう、と。

なにげに周囲を見渡す。

その時、ふと視界にはいった玄関口左手の軒先につるされたものに私の目線は釘付けとなる。

軒先から無数の糸が伸びている。

伸びた糸はざっと見積もっても50本以上には及ぶ。

光を反射しているところを見ると釣り糸か。

問題はその糸の先。

長さのまちまちな糸の先には、雑多な種類の昆虫が子供の手遊びとばかりにくまなく括られていたのだ。

ほとんどはすでにミイラ化しているように見えた。

だが一部はかすかに羽を動かしていたりと、あがく様子を見せる。

甲虫から羽虫まで、その異様な光景はあたかも前衛を気どる立体標本箱のようにさえ私には感じられた。

頭のなかで警鐘がなる。

これはダメだ。

これは関わったらダメやつだ。

いや待て、それ以前に動いている昆虫が居るということは、つまり・・。

次の瞬間。

背後からすくみあがるような罵声が響く。

振り返った私の先に居たのはボロボロの作業服を来た壮年の男性だった。

「△×らってkんnのか!」

赤鬼のように顔を真赤にして怒鳴り散らす様子に萎縮するも、何を言ってるのかさっぱりわからない。

日本語なのは確かだと思うが、イントネーションが関西じゃない。

強い方言が混じっている感じ。

「すいません、すいません、偶然こっちに来ちゃったんです、すぐ帰ります、ごめんなさい」

必死で謝るも、男の怒りが収まる様子はない。

今にもつかみかからんばかりの勢いで声を上げながら私に近づいてくる。

走った。

死にもの狂いでダッシュした。

男の手をスレスレでかいくぐり、脱兎の勢いで車に乗り込む。

すかさずエンジンをかけ、Uターンしようとしたが、その時にはすでに男が車の真横にまで近づいてきていた。

悪鬼のような形相で怒声を張り上げながら、私の車のボンネットをバンバン叩く男。

Uターンどころの話じゃない。

あわててバックにギアを入れて、山道を必死で後退する。

脱輪して転落するのではないか、という恐怖に手は汗ばみ、アクセルを踏む足は小刻みに震える。

やがて遠ざかっていく作業服の男。

やっと一息ついたのは男の姿が薄暮に消えたあたり、分岐路からさらに数百メートル下った山道にて、だった。

動悸が収まらない。

そりゃ、他人の敷地に無断で侵入したこちら側に非はあるだろう。

だからといって、いきなり人の車を叩いたりするか?普通?

山の端に沈みゆく夕日が照らすボンネットのくすんだ手形に、私は再びぶるりと背を震わせた。

後日。

私は再びハンドルを握り、あの山奥の民家を目指して車を走らせていた。

はっきりいってバカだ。

今の私なら絶対にそんなことはしない。

好奇心が猫を殺す、と十分承知しているからだ。

だが、当時の私は無知で無鉄砲で勢いだけがとりえの若造だった。

なぜあんな場所に民家があるのか、どうして壮年の男は私を追い払ったのか、なにか納得のいく答えがどうしても欲しかったのだ。

ふもとから約1時間後、山頂付近の岐路に立つ。

また男が現れたときの事を考えて、車はそのまま下り道へと侵入せず、方向転換して脇に停車する。

すぐに乗り込めるようにドアはロックしない。

草木や大小の石くれで荒れた道を徒歩で下っていく。

やがて前方に、あの時の民家がゆっくりと姿を現す。

小さな違和感を感じる。

進むにつれて、その違和感の正体が私の中で形を成した。

ないのだ。

あれほどあった産業廃棄物らしきゴミの数々がきれいさっぱりなくなっているのだ。

小走りに民家に駆け寄る。

ない。

軒先の昆虫コレクションもすべて片付けられている。

ふと、玄関の扉に目をやる。

すこし前方にドアそのものがズレているように見える。

ちゃんと閉まってないんだ!と気づく。

心臓が早鐘を打ち出す。

やめろ、絶対にやめろ!と誰かが私の頭のなかで大声を上げていたが、迷うよりも先に私の右手はドアノブを掴み、ゆっくりと扉を引き開けていた。

中は真っ暗。

玄関口に履物はない。

黒光りする廊下が視界の届かぬ奥まですとん、と一直線に伸びている。

あれ、これ京町家の作りだな、と私は少し混乱する。

こんな山奥で京町家?わけがわからない。

靴をぬぐべきかどうか迷ったが、脱ぐと逃げられなくなる、という思いが先行し、土足のままゆっくりと廊下を進む。

ぎし、ぎし。

歩くたびに小さなホコリが舞い上がる。

とてもつい先日まで人が住んでいたとは思えない。

それともずっと空き家で、あの壮年の男は別な場所に住んでいる管理人みたいなものだったのだろうか?と思考は一向にまとまらない。

左手に破れて黄色く変色した障子。

破れ目から中の様子に目を凝らす。

暗くて何も見えない。

引き手に手をかけ、そっと開けてみる。

やはり暗闇。

踏み込むべきか悩んだが、闇の濃さが私に右足をあげることをためらわせる。

やがて徐々に闇に目が慣れてくる。

最初に見えてきたのは中央に置かれたちゃぶ台。

ちゃぶ台の上にはいくつか食器が並んでいる。

目を凝らすと、食器にはなにか食べ物とも液体ともつかぬものがそそがれたままなのがわかった。

左手にはふすまが外れた押入れ。

布団とも夜具とも判別できぬものが雑多に詰め込まれている。

天井近くの壁にはいくつかの額。

おそらく誰かの写真。

田舎の祖父宅で似たようなものを見たが、おそらく先祖の写真ではないか、とあたりをつける。

右側には仏壇。

ひやり、と背筋をかすめるものがあったが、さらによく見ると位牌がないことに気づいた。

本来なら位牌のあるべき場所に、なにか別のものが置かれている。

ゆっくりと仏壇に近づく。

闇が物理的な圧力を持って体にまとわりつくように感じたのはきっと錯覚だろう。

少し離れた位置から、上半身だけをのばして仏壇の中を覗き込む。

ひっ、と小さく声が漏れる。

置かれていたのは釣り糸らしきものでぐるぐる巻きにされたセルロイド製のネームプレートだった。

何か文字が書いてあったが、それが読めるほどの明るさにはない。

ふいに我にかえる。

何をやってるんだ俺、こんなところで。

まともじゃない。

どう考えてもいろんなことがまともじゃない。

なぜこの家は忽然と人が消えたような痕跡を残して無人になっている?

なぜ廃棄物や昆虫コレクションは数日で消えた?

気がついたら全身の肌を粟立てて私は一目散に家を飛び出していた。

車までが恐ろしく遠く感じる。

ひょっとしたら車であの男が待ってるんじゃ、という嫌な想像が脳裏をよぎる。

どうしてロックしてこなかった!

なんでまたこんなところに来ようと思ったんだ、俺のマヌケ!バカ!

人が普段来ないようなところにあるものには、人が来ないからこその存在理由がある。

いまだなにもかもがわからないままの深山譚、近寄ってはいけない場所もあると知った遠い昔の記憶である。

2017.12著

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