27日目
ようやく熱が下がってなんとか動けるようになったのも束の間、夕方猛烈な腹痛に襲われる。
私は普段から、腹が痛いとか病気のうちにはいらん、と思ってる人なので「そのうちおさまるだろう」とひたすらベッドで耐えていたが、4時間を超えた段階でさすがに音を上げる。
「すいません、なんだか腹が痛くて・・・」
薬を処方されるが効かない。
点滴を追加、けれどおさまらない。
「うーん、これはちょっとおかしいから早急にCT撮りに行ってきて」
脂汗を流しながら、なんとか検査台へ。
数十分後、
「これ〇〇だよ!自分で気づかなかった?血液の病気と関係ない!すぐに外科の先生呼んで応急処置してもらうから!」
腹をグリグリやられる。
「・・・くえー!!!!(鳥じゃないよ、僕だよ)」
ベッドの鉄骨がへし曲がるのではないかと思われる勢いで転落防止の柵を握りしめる私。
いたたたたたたたたたたたたったたたたたたたたたたたたたたたたったたたたたたたたたあああああああ!
あああああっああああああああああっあああああああああああああああああああああっ!
「我慢して!!」
数十分後、嘘のように痛みがひく。
「応急的になんとかしたけど、これ、手術しないと根本的には治らないです。後で手術計画練りますから」
手術・・・・。
まだ入院中で治療中なのに、もう次の懸案が待ち構えてるの?と心底落ち込む。
28日目
夜中に何度も足がつる。
腹圧をかけるような姿勢や動作はつつしんで、と言われているので大げさに飛び起きることも出来ない。
「いいいいいいいいいいいいいいい・・(僕だよ)」
歯を食いしばりながら、おかしな体制で足を揉む。
医師は電解質がどうだのこうだの言ってたが、はっきり覚えてない。
芍薬甘草湯という漢方を処方される。
これがやたらと効く。
とんでもない即効性がある。
けど一晩に何度も飲んでいいの?とちょっと思う。
体重を測ったら、入院時に比べて5キロ減っていた。
そりゃ足もつるようになるわな、と思う。
29日目
「かなり数値が正常に近づいてきたね。この感じだったら骨髄移植とか考えなくていいと思う。もう少し頑張って」
相変わらず倦怠感とゆるい吐き気、空腹と不眠に悩まされてたのであまり実感はわかないが、退院が現実味を帯びてきたのは間違いなく朗報だった。
「薬が考えてた以上に効いた。良かったね」
私の病気は遺伝性だということなので、この先薬から開放されることはきっとないのだろうけど、それでも回復してきてるのがうれしくないわけない。
「ただ、まだ安心はできない。心臓のことがあるからね」
ラーメン、食いたいなあ、退院したら。
そんなことをぼーっと考えた。
30日目
昼間にこっそり病院を抜け出すことを計画する。
数値が良くなってることを聞いて、調子にのっちゃったんだろうと思う。
階下の売店に行く風を装って、外出着を手にとる。
そのまま外来患者の群れに混ざって、病院の外へ。
冬の空気が冷たい。
こんなにも風が冷たくて、太陽が眩しいのか、と衝撃を受ける。
行くあてもなく、病院のまわりをうろうろ。
近くにあるコンビニに寄って、菓子パンとジュースを購入。
ゆるい坂道で息が切れる。
たかがこの程度の傾斜でしんどくなるのか?と愕然。
ああ、まだ全然回復してない、と強く実感する。
心臓はまだ平常運転じゃないんだろうな・・・と思い知る。
ばれてるかな・・・と少し怯えつつも、素知らぬ顔で院内へ。
誰にも咎められることなし。
病室で菓子パンをむさぼり食う。
死ぬほどうまい。
売店の商品に飽き飽きしてた身としては、コンビニの安っぽい味ですらとんでもないご馳走。
おかげで以降、間食がやめられなくなる。
31日目
外来患者が行き来する廊下に設置してある長椅子に座って、行く人をながめる。
8割が老人。
そりゃ医療費パンクするわ、と思う。
杖をついてる人、車椅子の人、付き添いに肩を抱えられる人、ベッドに寝たまま看護師に運ばれる人。
当たり前だけど、元気そうな人はほぼ居ない。
すごく辛そうに、たどたどしく歩く老婆が行き過ぎる。
入院しなくて済んでるだけでも幸せですよ、と心の中でつぶやく。
いや、このあと医師から入院を宣告されるかもしれんな、あの調子だと、と前言を取り消す。
いくらマスクをしてるとはいえ、こんなところに長時間いたらまた熱が出るかもしれんな、と思うも、病室に帰るのが嫌で仕方がない。
もう、あそこに居たくない、と強く思う。
もうすぐ検温と血圧に来るな・・・と時計に目をやるが、そのまま私は座り続けてた。
その日はなぜか夕刻の検温等がないまま夕食になった。