回顧録~なにゆえ私はお出かけブログをやろうと思ったのか

これは私がお出かけ日記をブログでやり始めた頃の話なので、かれこれ6~7年近く前の出来事(2020年現在)となる。

遡って考えるなら、ネットをうろうろしていて、偶然私の目に「奈良県十津川村の温泉は、全施設が源泉かけ流し」との文字が飛び込んできたのがその発端であったような気がしなくもない。

ご存じの方も多いかと思うのだが、京都、大阪の都市部には温泉らしい温泉があまりない。

あってもスーパー銭湯だったり、単純温泉だったりで、それなりな値段の割には中味が伴わない、というのが密かな温泉好きたる私の小さな不満だった。

そもそもが立地にも湧出量にも恵まれていないエリアなのだろう。

やっぱり温泉を満喫するには遠出するしかないのかなあ、とちょうど思っていた矢先の発見であった。

これ、行けってことなんじゃない?とにわかに自分の中で旅への機運が膨れ上がる。

距離的な問題は無視できないレベルだったことは確かだ。

なんせ高速道路が近隣まで走ってない。

余裕で片道3時間以上はかかる。

だが、源泉かけ流しである。

しかも料金が安い。

施設によって格差はあったが、最安値で400円である。

循環ろ過あたりまえで1000円オーバーな私の自宅周辺では考えられない値段。

さてどうしたものか、と思案するが、ここ最近出かけることもあまりないし、観光もかねての遠出なら長々しい道行きもさして気にならないのでは、とふと考える。

思い立ったが吉日である。

えいやっ、と出かけたのはその週の週末であった。

早朝から車に乗り込み、いそいそと一路奈良県へ。

さてここで、改めて今振り返るなら、この後遭遇するであろう「事件の兆し」はすでにこの時あった、と言っていいだろう。

あれ、なんだか車のクラッチが柔らかい(緩い?)ような気がするなあ、と道中思ったのだ。

それは足先に伝わる僅かな違和感。

決して確信を持って言えるようなことではない。

久しぶりの一人旅が招く高揚感、過ぎゆく見知らぬ景色の前では瑣末事だった、というのが正直なところ。

もしこの時、私が真剣にこの違和感に対処できていたなら、その後の展開は大きく変わっていたに違いない。

走り続けること3時間弱。

十津川村の中心部らしきところについたのは、正午も過ぎようか、という頃だった。

このまま温泉に直行も悪くはない。

けれどせっかく来たんだから、軽くあちこち名所を巡ってから温泉でもいいんじゃない?と、予めあたりをつけていた玉置神社へと向かう。

日本最古の神社、とのふれこみが私の興味をひいていたのだ。

対向車とすれ違うことなんてほぼ不可能、と思える悪路を延々と登坂する。

なんせ玉置神社が建立されているのは人里離れた山頂付近だ。

車でふもとから約30分。

ギアを低速に落としてやっとなんとか登れるか、といった急勾配をのろのろと進む。

あれ?と思ったのは20分ほど車を走らせた頃だっただろうか。

先程まで2速で登れていた坂が、なぜか1速に落とさないと登れない。

肉眼で確認する限りでは傾斜はさほど変わっていないように見える。

ひたすら回転数を上げ続けるタコメーター。

すでに5000回転近くを針はうろうろ。

いや待て、おかしいぞこれ、5000回転はありえんだろう??・・・てか、クラッチが繋がるポジションがなんだかズレてきてないか?と自分の左足をいぶかしんだその時だった。

突然、フロントのエンジン部分から白煙。

進めば進むほど煙は勢いを増していく。

プラスチックが焦げたような嫌な匂いが窓を開けていないのにもかかわらず、車内に充満。

焦ったなんてもんじゃない。

正真正銘のパニックである。

なにをどうすればいいのかわからず、意味なく左手は口元へ。

か細く「あああ・・・・・」と漏れる声。

とにかくこれ以上進んじゃまずい。

とっさに行く手にちらりと見えた山道の脇の窪地に車を乗り入れ、あわててサイドブレーキを引く。

その間もいっこうに白煙は止まることがない。

嫌な予感が脂汗となって額から滑り落ちる。

オーバーヒート?・・・否。

昔の古い記憶が私に最悪の結果を耳打ちしていた。

これ、あの時と同じだよ・・・クラッチが焼け付いてるんだよ・・・。

ボンネットはさわれないほど熱を持っている。

全ては10数年前、町中で突然自走しなくなった先代のマイカーと同じ症状だった。

軽く手が震えだす。

心臓が早鐘を打つように激しく鼓動を刻みだす。

カバンからひったくるようにスマホを取り出して電波状況を確認。

わかっていた。

わかってはいたが、電波が来ていないことを告げるアンテナゼロの表示は、その時の私にとって処刑宣告にも似た無慈悲な現実だった。

周りを見回す。

電話ボックスどころか人家の1軒すら見当たらない。

ただ森。

ただ山。

凄まじい後悔が数時間前の自分を激しく責め立てる。

なぜ、道中でクラッチがおかしい、と思ったときに私は立ち止まらなかった?バカ!俺のバカ!虫並みにバカ!

なにもかも後の祭りである。

少しづつ収まっていく白煙を虚脱状態で見つめながら、落ち着け、どうすりゃいい、考えろ、とにかく考えろ、と自分に何度も言い聞かせる。

おそるおそるクラッチを踏み込んでみる。

ダメだ、半クラッチの状態にならない。

クラッチは空気の抜けたビーチボールのように何の手応えも私の左足に伝えてこなかった。

ここで通り過ぎる人を待つ?

けれど先行車も後続車も全く見かけなかったぞ?何時間待てばいい?いや、それ以前に誰もやってこないまま日が暮れたらどうする?街灯ひとつない山の中で一夜を明かす?飲み物も食べ物もないのに?怖すぎるわ!いい年して泣いてしまうわ!!

いっこうに思考はまとまらない。

どちらにせよ、この場所に留まり続けるのは嫌、が私の出した最初の結論だった。

ふもとまでなんとかして降りるしかない。

瞬時考え込む。

歩いて降りるのが多分正解だろう。

けれど、ふもとにたどり着いてレッカーを手配できたとして、この悪路でどうやってけん引してもらうのだ。

すれ違うのもきわどいような山道だ。

いかにプロのテクニックを駆使したとしても、この場所から自走できない車を上手に運ぶことができるとは到底思えない。

車ごとふもとにまで降りるしかない。

そう決断してからの私は迅速だった。

車外から片手でハンドルを操作しながら、もう片方の手で窓枠を掴み、ゆっくりと車を押す。

窪地に傾斜がなく、平らだったことが幸いした。

じりじりと車はタイヤを回転させる。

とにかく車体を180度旋回させ、そのまま下り勾配をブレーキングだけで一気にふもとまで降りきる、というのが私の立てた計画だった。

いけるはず。

この急勾配なら、例え途中で対向車とすれ違うために止まったとしても、また再び重力に捕われて動き出すはずだ。

60度。

90度。

120度。

胸元を大量の汗が流れ落ちる。

動くには動く。

だが重い、バカみたいに重い。

160度。

ふいに車体が抵抗をなくしたようにするりと私の手から離れる。

運転席に飛び乗って慌ててサイドブレーキ。

大きく息をつく。

・・・よし、行くぞ。

心境はもはやこれから定められたコースを走るレーシングドライバーさながら。

鉄の棺桶にならぬことを祈りながら、そっとブレーキの上に足を置く。

そこからふもとまではほとんど大八車を操作する引き手の気分だった、といっていい。

踏み込んで、緩めて。

右へ左へ。

このまま地元まで下っていけたらいいのになあ、とありえぬ夢想に吐息をもらす。

ふもとの国道に到着したのはおよそ20分後ぐらいか。

ゆっくりと動きを止める車をハンドル操作だけで道の脇へと押しやり、すぐさまスマホを確認。

アンテナは2本。

よし、これでJAFを呼べる。

ふと、気づく。

多分、この場で修理はできない。

となると、自宅まで車ごと運んでもらうことになる。

さっきオペレーターから1時間ぐらいで着く、って返事があったから、到着は2時ぐらいか。

そこから3時間以上かけて自宅へ。

いやおい、ちょっと待て、まだ何も見てないぞ俺。

ただ、遠方はるばる片道切符なドライブしただけじゃないか!

んで、そのまま温泉もスルーであとは帰るだけ?

なにそれ?マジでなにそれ?!

「あー、連絡うてくれたらしかさ?」

「は?」

車の中で1人悶々としていた私を現実に引き戻したのは、いつの間にか後方に到着していたJAFの作業員の声だった。

「まんで動かねらかさてとら?」

「え?」

それが方言なのか、その方特有のイントネーションなのか、私には判別がつかなかったのだが、とにかく断片的にしか言ってることの意味がわからない。

「あの、JAFの・・・?」

「えーで」

挨拶もそこそこに、ボンネットを開けろ、と作業着姿の初老の男性は私に指示を出す。

背中には◯☓自動車店の文字。

どうやらJAFから委託を受けた民間業者のようである。

「あーこえりゃめったこなからせたでれよ、らっさてけらんわ」

よくわからんがやはりこの場で修理はできない、と告げているようだ。

「でーら、はんでれねで、ご自宅までれかんしょってなれんど距離うんちがえれっさら10万へっけっつとも」

「はあああああ?10万んんっ!」

いや、わからなかったのだ。

わからなかったのだけれど、彼が『自宅まで運ぶとなると距離に換算して10万円はかかる』と伝ようとしているのだけは直感的に察することができた。

金の話には敏感なのである、私は。

「すんでこの場げんといたらかねっと」

「いやいやいや今現金で10万なんて、持ってるわけねえじゃねえっすか!」

恥ずかしながら、その時、私の財布の中には1万円札が1枚と千円札が数枚しかなかった。

「うんでれってもなれ」

「カードは?カードはダメなんすか?」

「カード決済すべらんてでれんきむれんとからって、出先やれもん」

「いや、出先もクソもこっちも無い袖はふれんから。え、なに、今払えないとこの場に置いていかれちゃうわけ俺?JAFってそういう組織なの?マジか!」

ほとんど異文化コミュニケーションなやり取りにも関わらず、いつの間にか会話が成立している作業員の男性と私。

決死の下山行にてようやくここまでたどり着いたのだ、置いていかれてたまるか!との思いが、言語の壁を飛び越えて意思疎通を可能にしたのかもしれない。

「・・・・うーぬ、しんたけらってもうてね、寄り道れっからとんげもってのっれ」

「え、乗ればいいの?そちらの車に?」

よくわからないままレスキューカーの助手席に押し込められる私。

作業員の男性は、助手席のドアを閉めると、いそいそと私の車を荷台に引き上げ、固定する作業を開始した。

作業を終えると無言のまま車を発進させる男性。

どこに連れて行かれるのだろう・・・と不安がなかったわけではない。

けれど、とにかくこの場所から移動できるならなんでもいい、と私は考えていた。

仮に、1万円分の距離で放り出されたとしても、ここより町中に近づくことができれば保険会社のレスキューサービスに連絡する、という手もある。

保険会社に連絡したところで結局はJAFの手を再びわずわせることになるのかもしれないが、人が変わればまた交渉の仕方も変わってくるだろう、と私は踏んでいた。

やがてレスキューカーは山間の小さな集落に侵入。

男性がふいに車を止めたのは、◯☓自動車店と看板の掲げられた小さな修理工場らしき店先だった。

「ろーてんなほっと、よってるーなら」

何やらついてこい、と言ってるようである。

工場を抜け、奥の事務所へ。

「暗証番号」

男が差し出したのは旧式のカード決済機だった。

「あ」

すべてを察する私。

「カードでいい、ってことですね?すいません、助かります。わざわざ寄り道までしてもらって」

先程までの懸念はどこへやら、一転朗らかに応対する私。

「れっけ寄り道せんでれこっちとーもん!らんでーこっとれ」

いぶかしむような口調で私に詰め寄る男性。

いやだから、あんたが何を言ってるのかよくわからんのだってば、私は。

そこから3時間以上に及ぶ作業員と私の長距離密室ランデブーは想像以上に苦痛を伴うものであった、とだけ記しておきたい。

思い出したようにぽつぽつと話しかける男性。

「はあ」

「ええ」

と相槌を打つしかない私。

もう、5万円分ぐらいは返事したかなあ、あ、でもよく考えたら払うのは私だった。

ようやく自宅に到着した夕暮れ、かあ、かあと薄暮の空を急ぐカラスに「ああ、お前も帰るのだねえ、いつものねぐらへ」と憐憫の情が湧いてくるほど私は疲弊しきっていた。

「れば、ねってれけのーもサインけってちょーば」

「・・・・・はい」

これにサインしたら10万。

ただ行って、帰ってきただけで10万。

いま貧血で倒れるとか、気が狂ったふりとかしてもダメなんだろうなあ、と悪あがきでしかない自分の堂々巡りな思考に思わずカラ笑いがもれる。

ひょっとしたら目尻に何か光るものがあったかもしれない。

その夜、自宅の風呂につかりながら私は復讐心に燃えていた。

いいよ、払ってやるよ10万。

恵まれない子どもたちに寄付したとでも思って忘れてやるよ。

でもこのままじゃすまさねえからな、十津川村!

必ずもう一度行ってやる!

意地でも自分の車でもう一度玉置神社まで行ってやるから!

待ってろ、タココラ!(c長州力)

そして一部始終をブログで公開してやるから。

丸裸にしてやるから!

ブログの広告収入で10万、取り返してやるから!

・・・・かようにして、当ブログのお出かけ日記は開幕を告げたのである。

ちなみに現在、10万はおろか数千円すら広告収入は私の懐に入ってきてない。

なぜだ。

意味がわからん。

いや、わからんのは俺か。

<終わり>

2018.1著

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